アラサー女の日記

キャリア迷走ニンゲンがそれに向き合うための日記です。

まだまだ駆け出し

平日は毎日書くなんて誰が言ったのだろうか。

ブログを書く時間よりも心の余裕がなかった。課題のあと間髪入れずに試験期間が待ち構え、これまた10年ぶりの試験勉強に頭をズキズキさせながら直前に詰め込みまくってゾンビになりながら臨んだ。結果はどの教科も1~2問落として全教科100点は未達に終わった。家族には野心がでかすぎると言われたが、職業訓練の身分である以上、一定の成績が求められていると思う。多分。課題はなおのこと自信がないので、学科試験で挽回しておきたかった。

 

先週未完成で終わった課題がずっと引っかかっていた。学期に一区切りをつける前にどうにか暫定の答えを出しておきたくて、試験勉強と並行してもう一度作品を作っていた。

作品を作っているとありのままの自分が映し出され、問題点が手に取るようにわかる気がする。見切り発車で走りだすクセだったり、自分自身の向き合いの足りなさだったり、煮詰まった案に固執したり。アイデア出しもいつの間にかマインドマップになっていて、完成図が常に変わり続けて着地点が不明瞭だった。柔軟性のなさや視野と世界の狭さがありありと浮き出る。

講評をいただけばより的確な言葉で問題点を洗い出された。ビジュアルとしては良いがテーマからは遠のいている。”自分を表す”がテーマなのに、主語である自分の影が薄い。まさに今の自分に思い当たる事ばかりだった。外側ばかり繕い、肝心の根っこの自分はいつも透明人間のよう。やっぱり作品にその人は表れるのだ。

先生の一言ひとことが大変勉強になった。それだけに言葉が深く響いて、結局泣いた。すかさず「わかるよ、悲しくて泣いてるんじゃないんだよね」と、フォローをいれてくださった。そこまで代弁してくれる優しさに余計泣いた。

社会人学生の特徴として、経験の多さゆえに考えすぎることが躓くポイントとしてあるらしい。訓練初日あたりの自分のブログを思い出した。この10年で身にまとった余計な重さがまさにそれだと思った。学生たちの作品はテーマ自体がとてもストレートで、ポジティブな気持ちや楽しさが全面に伝わってくる。私の作品にはそういうものがなくて、まさに「ああ、いろいろ考えたのだな」というその所感しか伝わらない。私自身作業は楽しんだが、テーマに対しての答えを考える過程は、楽しさよりも難しさが勝っていた。

先生にアイデアのヒントをまたいただき講評を終えて、帰路に立った。

 

泣いてしまったのは意見を表現しきれない自分のもどかしさや、テーマにはっきり答えられなかった自分の未熟さがあるが、私の拙い1枚の作品から人と本質的なコミュニケーションを取れたことの嬉しさもあった。文字に書きだす自己分析よりも、制作活動を通しての方が圧倒的に自分をわかる気がした。それもまた言語化しなければならなくて、そのために今ブログを書いているようなものだ。あと1年半でどこまで自分が変われるか未知数だが、できる限り自分の事をわかってコントロールできるようになってから転職活動を始めたいと思った。

 

 

そういえば今回の試験で点を落としたところ、小テストでも同じ間違えをした箇所だった。見直すクセが弱い。そしてこのブログもまた見直さず書いているので、毎回同じ内容になっている気がした。次からはちょっと読み返してから書こう。