春を振り返って
この職業訓練を受けていてラッキー!と思ったポイントのひとつ。
試験を合格点で無事終えれば、なんと試験休みがあるのだ。(実際にはテストの結果が振るわなかった人向けの補講日だが)6月を全力で走り切り、久々の平日休みに晴天。絶好のガス抜き日和だった。大好きなパン屋に行ったり、友人と長電話をしたり、夏らしい緑やピンクとブルーに染まった夕焼けを動画に撮ったり、なんとも幸せな一日だった。そんな穏やかな気持ちに水を差すようなコロナのニュースに、春の自粛期間を思い出した。職業訓練を控え無職だった私にコロナ禍はさほど関係しなかったが、別のところでとても重要な日々だったので、忘れないうちに書き残しておく。
3月、ひょんなことがきっかけで、長く低空飛行を続けていた私のメンタルは墜落した。今思うと起こるべくして起こったのだと思う。
私は20代前半で片親を亡くしている。それ以降、親へ恩返しができなかったことや期待を果たせなかったこと、そういった親にまつわる様々なことに早く気づけなかった自分が不甲斐なく、自分を強く責めるようになった。加えて世間をどんどん知るうちに無自覚に抱えていた内面的な問題が噴出していった。
自己肯定感の低さ、他己評価への依存、執着心、異常なまでの自信のなさ、細かく書きだせばB5のルーズリーフ両面1枚は埋められるだろう。自分という骨組みの弱さが、仕事でも人間関係でもよくない方向に作用した。
仕事では人材として求められても評価されても、私自身がそれに疑問とNOを突き付けていた。人間関係においては、どれだけ親しく付き合ってもそれをどこか希薄に感じたり、遊びに行けば相手に悪印象を与えていないかずっと不安を持っていた。
それらが最も顕著に表れたのが2019年だった。脆い基礎は自壊の運命をたどる。そうして私は2020年の春、とうとう砕け散った。この世のものとは思えない苦しさに自死を願った。けれど、どれだけ心がボロボロでも体は元気だし生きねばならない。やっと掴んだ夢への切符である職業訓練も待っていた。何より自死は、現状を生きるよりも何倍ものお金が掛かる「贅沢な選択」だということがわかった。
それからは希死念慮に駆られながら、自分というものについてひたすら考えていた。考えているだけだと気が狂いそうだったので、そういう時は読書や映画鑑賞に逃げた。
自分自身に向き合う時間は自分のことながらかなり苦行だった。それは今も変わらない。でも以前と違って、できる自分とできない自分、現状の自分を”そういうもの”として受け入れられる用意ができた。それだけでも大きな前進だと思う。
亡くなった母に言われたことで強く印象に残っている一言がある。
「あなたはいつも主役に立とうとしない」
10年以上前に言われたことだが今でも鮮明に覚えている。それはそのまま現在に受け継がれている。当時はその意味を理解しなかったし、反発心だけで「脇役でもいいじゃん」とか何とか言い返した気がする。今はその言葉を正しく受け取り、そこから脱却しようと試みている。私の人生を私が主役で生きられるように。そんな当たり前のことをできていないのが、30歳の私だ。
職業訓練のゴールは就職である。訓練終了後、社会保険と雇用保険を天引きされる形での雇用が条件とされている。一番の目標としては正規雇用を目指しているが、そのためにはこの春が絶対必要だったと今思う。どんな職業でも”自分”が強固な人が欲しいのだ。その上に技術力やコミュニケーション能力や柔軟性などの+αが付随する。現状の自分はその逆を行っており、だからこの10年正規雇用の就活では惨敗続きだったのだと思う。(派遣社員や契約社員は技術にお金が支払われる雇用形態だと思っている)
「いいクリエイターになれるよ」
その一言を叶えるためには。