アラサー女の日記

キャリア迷走ニンゲンがそれに向き合うための日記です。

かつおぶしになりたい

1ヶ月ぶりにブログを開いた。

7月の記憶はほとんど残っていない。毎日授業に没頭して燃えカスになりながら帰宅すれば即スイッチ切れ。休日も以下同文。

充実しているのかただ目まぐるしいのかわからないまま、8月という実感も伴わないまま来週はいよいよ夏休みに突入する。

 

この1ヶ月もデザインなり動画なりの課題があった。

動画はなりふり構わず楽しくやろうとわりと気楽にハードル低めにこなしている。

では頑張っているデザインはどうかというと、アイデア出しに4日、作業に3日、一週間かけて1作品仕上げるというなんとも情けない感じになっている。しまいには夢でも授業のアイデア出しをしていた。寝ながら倍疲れた。

個人的には120%ぐらいの労力で作ったものを先生に講評してもらう。そこで修正が必ず入るので、それを加えると1作品に150%取り組んでやっと授業的に提出できるレベル…という感じになる。

私、職業デザイナーは無理なんじゃないか。本気でそう思う。

クリエイティブに近い所で仕事をしたくてデザイナーを志望したけれど、そもそもアイデア力がなかった。養えるとも思えない。コミュニケーション能力には自信があってそれをデザインに活かせるかと思っていたが、それは二の次な気がした。

答えを作る仕事って難しいなあ。改めてそう思った。

発想力を磨くには経験が一番だとある学生が言っていた。確かにその通りだなあ。私は殻を破るためにパラグライダーかバンジージャンプをしてみたい。それくらいしないと性格が変わらなさそうだから。

とまあ、デザイナーなんて無理じゃん!!って弱音を吐きにきたので今日はこれでおしまい。何かしら引っかかるだろ、と思いながら明日も学校へ行く。今は一日終えれば文字通り燃えカスしか残らないけれど、2年後にはかつおぶしみたいな意味のあるカスが残せるといいなあ。そう思った。

春を振り返って

この職業訓練を受けていてラッキー!と思ったポイントのひとつ。

試験を合格点で無事終えれば、なんと試験休みがあるのだ。(実際にはテストの結果が振るわなかった人向けの補講日だが)6月を全力で走り切り、久々の平日休みに晴天。絶好のガス抜き日和だった。大好きなパン屋に行ったり、友人と長電話をしたり、夏らしい緑やピンクとブルーに染まった夕焼けを動画に撮ったり、なんとも幸せな一日だった。そんな穏やかな気持ちに水を差すようなコロナのニュースに、春の自粛期間を思い出した。職業訓練を控え無職だった私にコロナ禍はさほど関係しなかったが、別のところでとても重要な日々だったので、忘れないうちに書き残しておく。

 

3月、ひょんなことがきっかけで、長く低空飛行を続けていた私のメンタルは墜落した。今思うと起こるべくして起こったのだと思う。

私は20代前半で片親を亡くしている。それ以降、親へ恩返しができなかったことや期待を果たせなかったこと、そういった親にまつわる様々なことに早く気づけなかった自分が不甲斐なく、自分を強く責めるようになった。加えて世間をどんどん知るうちに無自覚に抱えていた内面的な問題が噴出していった。

自己肯定感の低さ、他己評価への依存、執着心、異常なまでの自信のなさ、細かく書きだせばB5のルーズリーフ両面1枚は埋められるだろう。自分という骨組みの弱さが、仕事でも人間関係でもよくない方向に作用した。

仕事では人材として求められても評価されても、私自身がそれに疑問とNOを突き付けていた。人間関係においては、どれだけ親しく付き合ってもそれをどこか希薄に感じたり、遊びに行けば相手に悪印象を与えていないかずっと不安を持っていた。

 

それらが最も顕著に表れたのが2019年だった。脆い基礎は自壊の運命をたどる。そうして私は2020年の春、とうとう砕け散った。この世のものとは思えない苦しさに自死を願った。けれど、どれだけ心がボロボロでも体は元気だし生きねばならない。やっと掴んだ夢への切符である職業訓練も待っていた。何より自死は、現状を生きるよりも何倍ものお金が掛かる「贅沢な選択」だということがわかった。

それからは希死念慮に駆られながら、自分というものについてひたすら考えていた。考えているだけだと気が狂いそうだったので、そういう時は読書や映画鑑賞に逃げた。

自分自身に向き合う時間は自分のことながらかなり苦行だった。それは今も変わらない。でも以前と違って、できる自分とできない自分、現状の自分を”そういうもの”として受け入れられる用意ができた。それだけでも大きな前進だと思う。

 

亡くなった母に言われたことで強く印象に残っている一言がある。

「あなたはいつも主役に立とうとしない」

10年以上前に言われたことだが今でも鮮明に覚えている。それはそのまま現在に受け継がれている。当時はその意味を理解しなかったし、反発心だけで「脇役でもいいじゃん」とか何とか言い返した気がする。今はその言葉を正しく受け取り、そこから脱却しようと試みている。私の人生を私が主役で生きられるように。そんな当たり前のことをできていないのが、30歳の私だ。

 

職業訓練のゴールは就職である。訓練終了後、社会保険雇用保険を天引きされる形での雇用が条件とされている。一番の目標としては正規雇用を目指しているが、そのためにはこの春が絶対必要だったと今思う。どんな職業でも”自分”が強固な人が欲しいのだ。その上に技術力やコミュニケーション能力や柔軟性などの+αが付随する。現状の自分はその逆を行っており、だからこの10年正規雇用の就活では惨敗続きだったのだと思う。(派遣社員契約社員は技術にお金が支払われる雇用形態だと思っている)

「いいクリエイターになれるよ」

その一言を叶えるためには。

まだまだ駆け出し

平日は毎日書くなんて誰が言ったのだろうか。

ブログを書く時間よりも心の余裕がなかった。課題のあと間髪入れずに試験期間が待ち構え、これまた10年ぶりの試験勉強に頭をズキズキさせながら直前に詰め込みまくってゾンビになりながら臨んだ。結果はどの教科も1~2問落として全教科100点は未達に終わった。家族には野心がでかすぎると言われたが、職業訓練の身分である以上、一定の成績が求められていると思う。多分。課題はなおのこと自信がないので、学科試験で挽回しておきたかった。

 

先週未完成で終わった課題がずっと引っかかっていた。学期に一区切りをつける前にどうにか暫定の答えを出しておきたくて、試験勉強と並行してもう一度作品を作っていた。

作品を作っているとありのままの自分が映し出され、問題点が手に取るようにわかる気がする。見切り発車で走りだすクセだったり、自分自身の向き合いの足りなさだったり、煮詰まった案に固執したり。アイデア出しもいつの間にかマインドマップになっていて、完成図が常に変わり続けて着地点が不明瞭だった。柔軟性のなさや視野と世界の狭さがありありと浮き出る。

講評をいただけばより的確な言葉で問題点を洗い出された。ビジュアルとしては良いがテーマからは遠のいている。”自分を表す”がテーマなのに、主語である自分の影が薄い。まさに今の自分に思い当たる事ばかりだった。外側ばかり繕い、肝心の根っこの自分はいつも透明人間のよう。やっぱり作品にその人は表れるのだ。

先生の一言ひとことが大変勉強になった。それだけに言葉が深く響いて、結局泣いた。すかさず「わかるよ、悲しくて泣いてるんじゃないんだよね」と、フォローをいれてくださった。そこまで代弁してくれる優しさに余計泣いた。

社会人学生の特徴として、経験の多さゆえに考えすぎることが躓くポイントとしてあるらしい。訓練初日あたりの自分のブログを思い出した。この10年で身にまとった余計な重さがまさにそれだと思った。学生たちの作品はテーマ自体がとてもストレートで、ポジティブな気持ちや楽しさが全面に伝わってくる。私の作品にはそういうものがなくて、まさに「ああ、いろいろ考えたのだな」というその所感しか伝わらない。私自身作業は楽しんだが、テーマに対しての答えを考える過程は、楽しさよりも難しさが勝っていた。

先生にアイデアのヒントをまたいただき講評を終えて、帰路に立った。

 

泣いてしまったのは意見を表現しきれない自分のもどかしさや、テーマにはっきり答えられなかった自分の未熟さがあるが、私の拙い1枚の作品から人と本質的なコミュニケーションを取れたことの嬉しさもあった。文字に書きだす自己分析よりも、制作活動を通しての方が圧倒的に自分をわかる気がした。それもまた言語化しなければならなくて、そのために今ブログを書いているようなものだ。あと1年半でどこまで自分が変われるか未知数だが、できる限り自分の事をわかってコントロールできるようになってから転職活動を始めたいと思った。

 

 

そういえば今回の試験で点を落としたところ、小テストでも同じ間違えをした箇所だった。見直すクセが弱い。そしてこのブログもまた見直さず書いているので、毎回同じ内容になっている気がした。次からはちょっと読み返してから書こう。

 

ショッキングブルー

最近困ったクセがある。

駅の改札で必ずと言っていいほど家の鍵を出してしまう。行きも帰りも関係なく、しかもタッチする直前になって気づく。どんな心理なのだろうか。そんなに家に帰りたいと願っていないのだが。

ついでに今朝は気持ち悪い夢を見た。腕にやたらかさぶたができていると思ったらそれはきのこのカサで、ぶなしめじからなめこまでいろいろな種類のきのこが腕から生えてそれをびっくりしながら抜いている夢だった。夢占いを調べば、出費もしくは健康に注意とのこと。どちらも思い当たる節があってドキリとした。ほぼ毎食コンビニでお金は常に流れているし、昨夜食べたインスタントラーメンも寝ている間ずっと胃を苦しめていた。つながりすぎて怖かった。気を付けよう。

 

今週は毎日イベント盛り沢山で少々バテた。

デザイン課題の提出があって、週の前半はほとんどそれに時間を充てていた。私の中でどうしてもデザインへの比重が高く、それに比例するプレッシャーもまた自身にかけていた。提出前に講評をいただく前提で提出日の授業開始ギリギリまで仕上げていたのだが、いざ授業が始まると先生からひと言。

 

「テーマに対してそのままの作品をつくるのは凡人。その先を読んで作るのがプロ。デザイナー志望の人はそこまで考えてつくりなさい」

 

その凡人の作品に15時間以上かけていた私は頭が真っ白になった。とにかく作り直さねば。授業は課題制作の時間として与えられ、提出まで3時間弱の猶予があった。とにかく紙に文字や絵で書きだして付け焼刃で作ってみたものの、結局作品の答えのでないまま提出時間となり、未完成の作品を全員の前で発表した。みっともない30歳がそこにいた。肝心の内容は抜けていたし声は終始震えた。自分のあまりの出来の悪さに泣いた。

 

先生から授業中に作った作品、未提出に終わった作品両方とも講評を頂いた。ビジュアルは少々褒めていただいたが、とにかくストーリー上にデザインが成り立つということや、オブジェクト一つひとつに意味がなくてはならないという、デザイナーとして致命的な指摘をいただいた。

 

ちなみに私が課題で伝えたかったことはアイデンティティだ。今もずっと悩み続けている、永遠のテーマだった。物心ついた頃から彷徨い続けていて、現時点の答えもでていない。そんな迷いやまとまりのない考えが作品にそっくりそのまま表れていた。基本的に白かった。パーツが少なかった。私と同様に作品もからっぽだった。その人の中にはないものは作れないという。まさにその通りで、あの作品がまさに今の自分なんだなあと思った。デザインの引き出しのなさや作業効率の悪さよりも、やはり自己肯定感の低さ、自信のなさ、メンタルの弱さの3点セットが圧倒的に一番の課題なんだと改めて思い知らされた。よりによって自分の作品に。逆にいいことだったのかもしれないが。

 

正直さっそく心が折れそうだった。諦めるなんて言葉は全く浮かばないし技術はいくらでも吸収する自信がある。けれど自分への信頼感をこの2年で固める自信はゼロに等しい。そういう意味では、最年長ながらあの教室の中で誰よりも子供だった。

作品を作っているとつくろいきれない内面的なボロが、これでもかというくらいでてくる。現に今制作途中の映像の課題にも、人付き合いの不器用さがそのまま表れている。このままでは私を採用したい会社なんてなさそうだ。

 

なんというかこのブログを打ちながら、この土俵のゆるさでよく"アイデンティティ”なんて題材選んだなあと、自分で自分がおかしくて笑えてしまう。切羽詰まるといつもの3倍頭が固くなって視野が狭くなるのも悪いクセだ。せっかく心療内科にも通っているのだし、なんとか人の手を借りて解決の方向を考えよう。

 

デザイナーの友人に技術的な不安を相談すると、とにかく在学中はパスの練習とインプットとアウトプットの機会を作れとアドバイスをもらい、今日からさっそくパスの練習を始めた。美しい直線と曲線が画面に描かれていく様は、目も動かす手も楽しい。そうして夢中になっていたらブルーライトにやられて目がちかちかした。そろそろ真剣にあの眼鏡、買おう。

いいクリエイターになれるよ

職業訓練3週間目にしてついに勉強と課題に追われる日々が始まった。

 

学べば学ぶほど自主学習が必要な要素がぼろぼろでてくる。Photoshopというソフト10年以上も使いながら、その機能の1%も使えていなかったことに衝撃を受けた。ずっと感覚的にわかる機能だけを使っていたものだから、各機能の正しい名称も位置も使い方も一から学ぶこととなり、まるで別人に出会ったような気分だ。

けれど不思議と苦手意識は持たなかった。むしろ学ぶ前の方の印象が「アップデートの度に挙動やインターフェイスが変わる摩訶不思議なソフト」だったので、どんどん親しくなれているようで嬉しい。これから永い付き合いにしたいので、どうぞお近づきに。

そうして足りないものがはっきりわかれば自宅学習の時間も自然と増えた。科目ごとに課題もそこそこ与えられるので、頭の中が勉強とアイデア出しに大体毎日割り当てられる。趣味で絵を描く時間は週末に取って(それもままならない日が近そうだが…)、平日は学業に専念することにした。

 

授業は楽しい。コーディングもデザインも動画も勉強が始まったばかりだが、それぞれの仕組みや相互関係がわかると理解もより深まって、WEBサイトやデザインへの興味がさらに高まる。課題も頭を悩ませるが苦ではなく、その悩みにすらわくわくする。

そんなポジティブな気持ちとネガティブな気持ちがいつも同居している。職業訓練校でどれだけ頑張ったとしても、30代未経験で職業デザイナーとして通用するのか不安が止まらないからだ。しかも2年の就業ブランクあり。就職活動自体、リアルなハードモードになる予感がしている。覚悟の上だ。

 

たまたま今日、デザインの先生にどう?と聞かれたので上記のようなことをかいつまんで率直に話してみたら、「あー大丈夫じゃない?」と。

オープンキャンパスである程度先行きが見込めたこと、その時のデザインも色づかいも覚えていること、それらも踏まえて訓練生として迎えたことを教えてくれた。すごく嬉しかった。あの短時間のオープンキャンパスでそこまで見られていたことにも驚いたし、見学は判断基準の一つだから絶対行った方がよいと勧めてくれたハローワークの職員の方にも改めて感謝した。

 

そもそも現状に至るまで、いろんな人が背中を押して応援してくれたなあと思った。兄弟に前職の上司に派遣会社の担当アドバイザー、喝を入れてくれた友人、そして職業訓練の面談で出会ったキャリアアドバイザー。

面談の最後で自分も元クリエイターだと明かしたその方は、「いいクリエイターになれるよ」と言ってくれた。それぞれの人に貰った言葉すべてが励みになる。自信がなくて不安が勝るときはそれらを思い出してなんとか奮い立たせる。

 

最近思うのは、自信のなさは本当に足かせにしかならない。謙虚なのではなくて自信がないから堂々と意見も言えないし、作品も出せないし、仕事を上手にこなしても胸を張れない。自己肯定感を削ぐような弱点の克服も課題の1つだと思った。自信を持つためにも勉強しているのだ。

就職が大丈夫になるかもいいクリエイターになるかもこれからの私次第だ。嬉しかったということはそうなりたいってことだ。とにかく目の前の課題を頑張ろ。

今日はなんだかいい日だったなあと思えば、プライベートでも嬉しいメッセージを貰った。ラッキーデーか!!と嬉々としてここぞとばかりに推しの抽選イベントに申し込んだ。全部当てにいきたいなあ。

脳にいらないシワを刻む

今朝はグラフィックの授業開始早々、全体で注意を受けた。

復習ちゃんとしてね、と。

前回の授業の内容を答えられなかったのだ。私もズレた回答をしていたし、気まずい雰囲気が流れたが、先生が切り替え上手な方で授業はさくさく進んでいった。

今日はPhotoshopの効果を使ってグラフィックを作ることがメインだった。授業を受けていると、今まで機能の5%も使えていなかったのだと痛感する。

ポン、ポンと与えられる授業内での課題に全くついていけなかった。頭の引きだしにないことを10分で作るということができなかったのだ。周りが時間内に何案も作っていく中、苦し紛れのたった1つの成果物はかなり恥ずかしかった。

 

放課後、先生と話す機会があった。改めて年齢を聞かれ答えれば「あ~厳しいね~」と率直な意見をこれまたポーンと軽いノリでいただいた。どこかしら引っかかるように頑張りますと答え、それでいいんだよと肯定されたが、わりかしショックだった。密かに抱いている夢や志望なんて言い出せなかった。

 

帰りの電車の中で「WEBデザイン 30代 未経験」と検索しては記事を開いて読んだ。おおむねの記事は30代からでも問題ない、WEBデザインは独学から、とうたっている。自分自身、何かを始めるに年齢なんて関係ないと思いながら、年齢のハンデを埋める何かを持ち合わせる自信がない。スキルを得るために職業訓練に通っている身だが、漠然とした不安はずっとある。授業内の簡単な課題すらつまずく自分が本当にやっていけるのだろうか。不安を消すには手を動かすしかないので、バナーの模写を始めることにした。引き出しを増やすには人から学ぶしかない。訓練自体始まってまだ1ヶ月も経ってないから、頑張れ。そう自己暗示してネガティブな気持ちを何とかコントロールする。

 

それとは別に人間関係でもちょっとしたつまずきというか、引っかかることがあった。

話やちょっとしたイベントを職業訓練生が主導しがちなのだが、その手綱はストレートに入ってきた学生たちに持たせた方が良いのではないかと、個人的には思っている。彼らの主体に私たちが乗って、何か起きそうになればブレーキをかけるくらいの存在でいたい。もう少し関わり方を考えないとなあ。なんだか今日はお悩みづくりの日のようだった。疲れた~。

老化

今日はコーディングの授業。引き続き基礎の基礎を学ぶ。

講師の方が現役のWEBクリエイターなので、授業は基本的にパソコン操作がわかる前提で進み、パソコン慣れしていない学生が置いていかれる…という図が2回目の授業にして出来上がっていた。

機械的なことをかなりかみ砕いて説明する先生側の難しさも、ついていくのに必死で何が何だかわからない学生側の気持ちもわかる。お互い苦労するなあと思った。私は今のところ余裕があるので、周りにわからない人がいれば教えられるが、授業の難易度が上がったらそれどころではなくなりそうだ。余裕のなさを露呈するの嫌だなあ…。わからない人のために、先生を二人に増やしてほしい。

 

帰り際、いつもお昼を一緒に食べている学生からひと言もらった。

「恋したいって思わないの?」

その場にいた訓練生と全く同じタイミングで「ないな~」と返した。

「ここでいいなーって人いない?」

未成年とは犯罪になっちゃうよと笑った。

学校という空間では、ふとした日常会話の中で圧倒的年齢差を感じる。学生を見ていると、やっぱり現役の青春だなあと思う。自分はというと、恋なんて10年近く無縁だ。出会いに行かない、期待しない、望んでいない。人生計画に結婚もない。常に自分のことで精いっぱいだ。若者、応援しています。